Sat
09
Oct
2010
縁があり、
一年半ほど出張お絵描き教室をやらせていただいてます。
生徒さんは知人のお宅の低学年の小学生3兄妹♪
発想が三者三様で素直で楽しそうに描いているので、
これは親御さんの育て方が良いんだろうなぁといつも感じます。
本人たちが一番楽しくやるのが一番大事なことだと思っているので
教えるというよりも楽しい時間を過ごすお手伝いが出来ればと思ってやらせていただいています。
子供の絵に接するようになって色々思い返しています。
幼稚園生だった頃、訳も分からず近所のお絵描き教室に通うようになって
そこの先生が自由だったので楽しく(ほとんどおしゃべり笑)お絵描きしてました。
子供の頃やらせてもらった楽しかった習い事はあとはピアノですね。
これも私があまりに楽しそうに通ってたらしく
姉も「りょうこと同じところに通う」と言い出したほど楽しそうだったそうです。
これも思い返すと、伸び伸び楽しくおしゃべりしながらって感じでした☆
しかし、美大受験ってほんと。。。。。。。。
あれを通過するって意味があるのかな〜と最近思います。
これから書くことは偏っているという意見もあるかと思いますが、
美大受験などを通して感じている自分の正直な今の感想です。
『上手な絵(写真のように忠実に描いた絵)=良い絵』
という考え方には違和感を覚えます。
『一生懸命描いた絵=良い絵』
というのにも違和感を覚えます。
私が感じた美大受験は『体育会系』ノリでした。
これにどうしても馴染めなくて、逃げてたんですよね。
良い絵ってそんなことで描けるようになるわけじゃないじゃん!!
なんで良い絵でも無いのに受かるの???
な〜んて今思えばと〜っても生意気なことを思って反発してました。
それでも自分なりに逃げずにやっていれば
『短大』しか受からなかったというところも自分なりに消化できたと思うのですが
逃げてましたからね。
絵を描くことしか考えて来なかったので
短大出たあと
「あ、自分は何で生計を立てたいんだ?」
って迷うことになるわけです。
絵も短大にしか受からなかったことで、、、なのか、
他に要因があったのか???
「どうせ自分なんて」
って気持ちが何をやるにも根底に横たわっていて何をやるのも中途半端(笑)
自分じゃ気付きませんでしたが
「『どうせ自分なんて』って言葉もう今後使わないで!」
って姉に言われてハッとしました。
それくらい自然に自己否定してたんです。
そのあともず〜っと自信なかったですが
口に出して他人にも見下されるのはまっぴらご免だったので
「絵をやってる」っていうので仲良くしてくれていた人の前では
自信が無いところは見せないようにしていました。
プライドってやつでしょうか?笑
こんなことをグダグダ悩んでて
もうこんな気持ちで30代を迎えたくない!!!って一念発起して
貯めていたお金でずっと気になっていた受験をしようと
予備校に入りました。
自信喪失時期を多く過ごしていた自分にとっては大きな予備校は敷居が高かったので
知人がやっている近所の予備校に入りました。
そこで
平日は仕事→高校生に混ざって夜間部で絵を描く
日曜は浪人生に混ざって絵を描く
ってことを数ヶ月(どれくらいやってたか思い出せません笑)かなぁー
とにかく暫くやってました。
ところが、自分がやりたいことが伝わらないんですよ。
浪人時代も学生時代も講師や教授に途中で言われるのが大の苦手だった私にとっては
やりたいことを講師全員に伝える、これが一番の苦痛でした。
私のコミュニケーション努力も空しく
「僕たちにはもう分からないから○○先生(そこで一番エラい先生?)に聞いて」
と最終的に丸投げされて。。。。笑
ま〜面倒な生徒だったんでしょうね。
一人だけ分かろうと努力してくれた方がいらっしゃいましたが結局
「分からない」
ということになりました。
絵をただただ何も考えずに描いていくのは楽しかったのですが、
そんなことを繰り返していたからか体を壊してしまって。。。。w
そこで
「もう受験はがんばった!」って思えて
次に進めたから結果オーライなんですけどね(笑)
そこの予備校で言われて、妙に納得した言葉です。
「美大受験はほんとに大変だけどそれを乗り越えられたから
大人になった今何があっても大丈夫って思える」
私はそれを避けて来たからずっとしこりが残っていたんだって。
受験で求められることと、世間一般で求められている絵画とは隔たりがあるのが現実です。
だから受験の技術をいくら極めたって
「早い」「上手く見える」「自分が出来ることを一枚の絵でアピール出来る」
だけなんですよね。
それも大事なことなのかもしれないけど
そういうことを繰り返すうちにその人自身の良さが消えることもあるわけです。
学ぶことで消える良さなんて弱いからしょうがないのかもしれないけど、
でも、もしも子供の頃の伸び伸びした感じをず〜っと持ち続けて行けたら
なんてステキなんだろうと思います。
NYでNY育ちのアーティストさんと話したときに
「なんて屈託なく自分のことを肯定してるんだ!」
ってびっくりしました。
海外で勉強したことが無いから実体験としては分からないけど
アメリカで勉強したことがある人から聞くところによると
アメリカは「基礎」の勉強をあまりしないそうです。
それはそれで一発勝負な作品になって作品の幅が狭まるから良くないけど
日本の画一的な美術教育もどうかと思います。
島国でバックボーンが皆似てるから仕方が無いけど
もっと色んなものを「良し」とする世の中になったら
美術に関してだけでなく
少しは気持ちが楽になる世の中になっていくような気がします。
石膏デッサン好きではありません。
石膏自体をあまり美しいと思ったことがありません(笑)
「あれは元の彫像を象りしたものをまた象りして
それを繰り返しているから出回ってるものは形が甘い(元の形に比べると迫力が無かったりとか)」
って話を聞いてから特に好きじゃないです(笑)
高いものほど元の形に近く、安いものほど形が甘いらしいです。
形を正確に捉える、白いものを描く練習にはいいのでしょうが
もっと面白いモチーフは無いもんなんでしょうか?
あの石膏を考えた人って凄いです(笑)
ず〜っと昔、予備校の講師の方のコラムに
「石膏を描かせてるのなんて日本と韓国くらいだよ笑」
と書いてました。
今でも石膏描いてるんでしょうかね?????
シュタイナーの教育論(一般的に広まっているのものよりも根本はライトでシンプルなものらしいです。って、私もまだ勉強不足ですが)のようなものがもっと広まって
でももっと現実社会に適したやり方で
絵を描くということをみんな楽しめるものになるような教育になっていけば良いな〜と思います。
「自分は下手だから描けない」
なんて思ってやらないなんてナンセンスです。
なんだかたくさん書いてしまいましたが、まとまりが無い文章ですね(笑)
気が向いたらまたこのお題で再度書いてみようかと思います。
写真は、マイナスイオンが大量発生する(?笑)ナイアガラの写真です。
ナイアガラみたいな大きな自然を目の前にすると
ち〜っちゃいことなんてどうでも良くなります♪
みんながハッピーに。
せっかくある才能を信じられないからって遠回りしたり諦めたりするんじゃなくて、
どんなことがあっても自分を強く信じられるような。。。
せめて自分が関わっている子供たちにはそんな風に強く自分を信じて生きて行って欲しいです。